紀々が出会ったプロフェッショナルを、紀々の視点でご紹介する…「社外報!
「社外報!」への想いは、こちらをご覧下さい。


◆ … ・ file.24 :取材日 2013年8月28日 ・ … ◆

宮良 球一郎(みやら・きゅういちろう)

※ ピンクと笑顔が似合う先生です!
ピンクがシンボルカラーの宮良先生へのインタビュー……
私も、ピンクのシャツでお邪魔しました♪

職業 : 「 宮良クリニック 」 院長
この道 : 乳がんに染まって十数年……

「是非、インタビューさせて頂きたい!」

「社外報!」を始めようと決めた時に、
そう思い浮かべた…私が大きな勇気を頂いている
尊敬するプロフェッショナルのお一人が、
宮良球一郎先生でした。

「紀々さん、次の浦添市医師会学術講演会に、
是非来て下さいね!」
浦添総合病院での講演終了後の懇親会場で、
笑顔でお声かけ下さったのが最初のご縁。
「医療が忘れてはいけないことを、教えてもらいました。」
そんな言葉を頂き、恐縮と感激の気持ちになりました。

「ボクは、乳がんオタク・ハルサー(畑人)だから!」
とっても明るく気さくな先生。
それが、宮良先生の第一印象でした。

「すべては、患者さんのために」
宮良先生の想いをこれまでも聞かせて頂いていたので、
患者さんが心配するほど忙しい先生のお時間を
私が頂いてしまっては…と思っていました。
ところが、
「善は急げ!」とお時間をとって下さることとなり、
念願叶っての貴重なインタビュー実現。
直接ではなくても、
このインタビューが、何かのカタチで
患者さん・ご家族の方々の小さなお役に立てることがあれば…
そんな願いを込めつつ、お届けいたします♪


◇ 紀々
先生が乳腺外科の道に進まれたのは、
今の私と同じ38歳の時だとうかがったのですが…。

宮良先生
そうです。
38歳の時に、癌研(癌研究所)に行きました。
きっかけは、当時の乳腺外科部長の
霞富士雄先生の講演を、沖縄で聞いたことです。

◇ 紀々
霞先生のお話で、一番感動されたポイントは何だったのですか?

宮良先生
乳がんへの熱い想いに、とにかく感動しました。
あと、当時私が沖縄でやっていた乳腺診療を、
ことごとく覆されました。
悲しいほど、ほぼ時代遅れだったんです。

霞先生が、講演の中で
「癌研で研修したければ、いつでも来て下さい」と
おっしゃっていたのが印象に残っていたのですが、
本当に行ってもいいものかどうかわからなかったので、
当時の助教授にお願いして、聞いてもらいました。
すると「本当にいいらしいよ」とのことだったので、
ある日…行くことにしました。

◇ 紀々
どのような経緯で?

宮良先生
羽田空港からね、電話したんです。(笑)

◇ 紀々
もう、羽田空港なんですか?!

宮良先生
そう。
ある日突然、思い立って“希望だけ持って”東京にね。
実は、霞先生という方は、乳がんの世界では
「神さま・仏さま・霞さま」と呼ばれるほどの先生で
なかなかアポイントが取れないのですが、
なぜかその時に、先生に電話がつながったんですよ。
あれはキセキの電話だったんだと、後で実感しました。
あれで私の人生は決まったと、今、本当にそう思います。
沖縄で講演を聞いて感動したことをお伝えし
「行ってもいいですか」とお尋ねしたところ
「どうぞ。いつ来るの?」と聞かれました。
「今、羽田空港です」と答えると、
さすがに先生もビックリされて…(笑)。

「君の名前は?」と聞かれ
「外科の宮良球一郎です」と答えました。
「では、明朝7時に癌研の7階に来なさい」
と言ってもらったのが、はじまりです。

◇ 紀々
もし、行ってダメだったら…とは
思われなかったんですか?

宮良先生
思いませんでした。
行っていいって言われていましたからね。
電話も普通につながったし。(笑)
それは「キセキに近い」と、今でもみんなに言われます。
その時は、そう思わなかったけれど
霞先生のことを知れば知るほど
「あれは、有り得ない出来事だったんだ」と
思うようになりました。
運命なんですね。


※ 「ね、運命でしょ?」― はい、すごい運命です!

◇ 紀々
運命の電話の続きは…どうだったのですか?

宮良先生
さすが霞先生でした。
翌朝7時に行ったら、
もうロッカールームと机が用意されていて
「宮良球一郎」と名前もあったんです。
とても感激しました。
超一流というのはこういうことか、と。
それからすぐカンファランスで、2週間滞在しました。
この間に、霞先生のほかにも
今も続いている“運命の出会い”があり、
本当にインパクトのある2週間でした。

その後、霞先生からハガキを頂きました。
「正式に、うちに来ませんか?」と。

◇ 紀々
今度は、スカウトですね!

宮良先生
そう、スカウト。
天下の霞先生からハガキを頂いて…
「うちに来ないか」なんて。
乳腺をやっている人にとっては、もう、神のお告げですよ。(笑)
そのハガキは、今でも持っています。

◇ 紀々
運命の出発までの道のりに、ハードルはなかったのでしょうか?

宮良先生
話せないほど色々ありました。(笑)
でも、同じ医師である妻が背中を押してくれました。
「医者なんだから、
もしダメでも食いっぱぐれることはないでしょ。
どうにかなるわよ」って。
私は、100人中99人に嫌われても
1人味方がいれば行動できるタイプなので、
その存在は大きかったですよ。

◇ 紀々
「1人でも味方がいれば頑張れるタイプ」……
私も、です!
スタートして後は、順調だったのですか?

宮良先生
薄給だったので、お金もなくて……
1年後、東京都の低所得者層になっていました。
朝食や昼食は、他の先生が使わず余った食券を
もらって食べていて、当然、酒代もなかったし……、
お蔭で、体重は8kg減りましたよ。

◇ 紀々
38歳で新しい苦労というのは……
ちょうど38歳の私にとって、他人事とは思えない感じがします。

宮良先生
癌研に行ったら、本当に大変でした。
カンファランスの会話についていけないという状況で。
10年以上も沖縄で「専門だ」と言ってやってきたのに、
一体いま、自分がどの世界にいるんだ……とショックでした。
まずはレコーダーで録音して、それを聞き直して、
霞先生から頂いた手術の本に書き込んで……。
私は38歳でしたが、その他の先生方のほとんどが20代。
わからない事は、20代の若い先生にも頭を下げて教えてもらいました。

◇ 紀々
「苦労」という言葉でまとめてはいけない……
そんな気がします。

宮良先生
癌研に来て間もない時に、月1回の
消化器外科・乳腺外科・呼吸器外科の合同カンファランスがあって、
霞先生からの指示で突然私が症例を発表することになり、
サポートしてくれるはずの副部長が、まさかの欠席!
他科の先生から質問を受けるのですが、そもそも
質問されていることの意味さえわからない状態。
ほら、「あしたのジョー」が真っ白になる場面があるでしょ、
まさにあんな感じでした。

◇ 紀々
真っ白…ですか。

宮良先生
もう「お前、何のために癌研に来たんだよ」という集中砲火。
癌研の先生は、容赦なく徹底して叩きますからね。(笑)

◇ 紀々
38歳で、その状況……凹みませんか?
私だったら、凹んでしまうなぁと思ったのですが。

宮良先生
凹みますよ!
でも、もうこの道と“決めて”来ていますから。

◇ 紀々
その後、どうされたんですか?

宮良先生
カンファランスや症例検討会の時には、
必ず一番前に座るようにしました。
そうすると、司会が一番最初に私に当てるでしょ。
一番最初というのは、準備も出来ないから難しいんです。
はじめは、バカにされたり厳しく指摘されたりしましたが
あきらめず、毎回一番前に座って、
一番最初に当ててもらう……を続けました。
司会が、必ず「はい、宮良」ってね。

◇ 紀々
「当てて下さい」オーラが全開だったんですね!

宮良先生
そうそう、「当てて下さい」オーラ、あったね。(笑)
最初はまったくダメだったけれど、
半年~1年経つと、だんだんわかってくるもので……
当て続けてくれた先生もえらかったと思います。
もうね、恥はとことんかいた38歳でした。

◇ 紀々
わぁ……。
今の私なら、どうだろうと思ってしまいます。

宮良先生
だから、それを見ていた若い先生たちも
だんだんついて来てくれるようになりました。

◇ 紀々
プライドが傷ついたり、ということはなかったのですか?

宮良先生
「乳がんをやっている!」
というプライドしかなかったから。
約2年半、一度も沖縄に帰らず没頭して…
生まれて3ヶ月だった子供が、
帰ってきたら3歳になっていました。
ビックリですよね?

◇ 紀々
う~ん……、すごいです。

宮良先生
とにかく、のめり込んでいました。
好きで好きでたまらなかったから。
家族もかえりみず、
今思えば「バカだった」という気もしますが、
あの時は、必死でしたね。
少し時間があると、
武者修行と称して各地の勉強会にも参加しました。
そこでも一番前に座って、やっぱり手を挙げて質問しました。
「癌研の宮良です」と名乗ると、珍しがられましたよ。

◇ 紀々
その時に、心挫けそうになることはなかったのですか?

宮良先生
人間ですから、一応ありますよ。
そんな時には必ず歌うんです、今でもね、
「ケ・セラ・セラ」を。
母がいつも、何かあったら歌っていた歌です。


※ こうやって……「ケ・セラ・セラ~」って、ね♪

◇ 紀々
歌ですか!

宮良先生
毎日は、楽しくてしょうがなかったですよ。
挫けそうなことも全部、自分の宝だし。
あとは、挫けるまでの時間がなかったというのもあるかも。
だって、毎日朝6:00から回診して、
だいたい12時過ぎに仕事が終わって、
寝る時間がほしいから夕食は食べない……
という日々ですから。

◇ 紀々
本来なら、メンタルヘルスの担当者としては
ちょっと心配な状況ですが……。(笑)

宮良先生
回診では、とにかく
患者さん全員のおっぱいを触らせてもらいました。
皆さんにお願いして、2年間、毎朝ずっと。
当時、癌研は年間約800名の乳がん手術をしていたので、
2年でだいたい1500人くらいのおっぱいを触ってきました。
だから私の手は、乳房のちょっとした変化にも
敏感に反応しますよ。
一般的に乳腺外科医が経験する乳がんの患者さんは、
1年間で多くて30~40名。
なので私の場合は、
だいたい40年分を2年で経験した計算になるわけです。

◇ 紀々
その時の、宮良先生の心の中にあったものを
ひと言で表したら……?

宮良先生
「乳がんが好き!」
奥が深いし、やればやるほど好きになる。
当時の癌研は、アウトローだったんです。
燃えている連中が集まっているところでした。
だから「楽しい」と思うことばかり。
せっかく癌研に来ているんだから、みんなで勉強しよう!
という会を作りました。
科を越えての交流も企画し実行しました。
その交流は、今でも続いていますよ。

◇ 紀々
ご自身が、この世界に向いているという
実感があったのでしょうか?

宮良先生
それは、ありません。
今でも、向いているかどうか自分ではわかりません。
でも、好き!
やればやるほど、感動しかありません。

◇ 紀々
癌研の時代は、落ち込む暇も遊ぶ暇もなかったのですね。

宮良先生
色んな発想もしますからね。
でも、乳腺やっているのも「遊び」と一緒です。
今も変わらず、時間を忘れて夢中になりますから。
だから「乳がんオタク」!
ストレス解消にもなっているんですよ。
「仕事」という感覚は、まったくありません。(笑)

◇ 紀々
院長が、コレは仕事じゃないんです……って、面白いですね。

宮良先生
楽しくって、疲れないの。
癌研時代に私が尊敬した先生方は、皆さん前向きで、
そんな先生方の中にいられる幸せ、
そして、認められる幸せがありました。
癌研では週2日外来担当していましたが、患者さんが
「宮良先生は忙しくて、ご飯食べるヒマがないから」と
交代でお弁当作ってくれたり、
私の送別会をしてくれたり……とっても嬉しかったです。

今日もね、患者さんが
お弁当作って持って来てくれたんですよ。
ほら、ね?



◇ 紀々
そういえば、この間、外来の受付でも……
患者さんが、
「アチコーコーの(あったかい)うちに食べてね!」と
手づくりの何かを差し入れていらっしゃる場面を見ました。
診察券を出す前に、大きな袋を出していたのが印象的で。(笑)

宮良先生
乳がんは、長いお付き合いですからね。
信頼関係がとても大事なんです。
私はハルサー(畑人)でもあるので、
畑をやっている患者さんに教えを乞うこともありますよ。
患者さんですが、「ハルサー先輩」ですから。
診察が終わったら、患者さんが先生!(笑)

◇ 紀々
患者さんに向き合う時に、心がけていらっしゃることは?

宮良先生
患者さんには、
「頑張らないでね。僕が頑張るから!」とお伝えしています。
患者さんに「頑張って」とは言いません。
時々、患者さんや患者さんのご主人が
「私も頑張ります!」とおっしゃることがあるのですが、
私は「あなたが頑張るより、僕が頑張った方がいいと思いますよ」
とお話しています。
「それよりも、あなたはリラックスして
奥さんにもゆっくり休んでもらって下さいね」と。
私は、乳腺のことで頑張るのは好きだし、楽しいから
一石二鳥でしょ。

◇ 紀々
「闘病」と言うと、つい
頑張らなくちゃ!と力が入ってしまいがち……
そんな気がします。
なので、先生の
「あなたが頑張るより、僕が頑張った方がいいでしょ」
という言葉を聞いて、ビックリ&納得でした。

宮良先生
でも、そうでしょ?

◇ 紀々
はい!
あと、もうひとつ…。
先生に最初にお会いした時にうかがった
「横顔」のお話が強く印象に残っています。

宮良先生
そうそう、紀々さんの講演で
「患者さんの目を見ることが大事」と聞いた時に、
診察中にはカルテも記入しなくちゃいけないから
ずっと目を見ていることは難しいという話をしましたよね。
それで、私が工夫していることがあると。

◇ 紀々
はい。
あのお話では、あらためて「お題」を頂きました。
そして、先生のエピソードがとても心に残っています。

宮良先生
患者さんには
「僕の横顔を見て話を聞いて下さい」と伝えています。
「カルテを書かなければいけないので、
画面を見ていることが多いですが、時々、
あなたのところを向きますから……その時
私と目が合ったら、あなたはきっと乳がんに勝てますよ」と。



そうしたら、患者さんは
一生懸命、私の横顔を見て話を聞いてくれます。
そして、時々横を向くと……パッと目が合うの。
こんな感じで、ね。


その時に、とっても嬉しそうな顔をしてくれるんです。

私がこうするようになったのには、理由があります。
悪くなっていく患者さんと、
調子の良い患者さんの違いは何だろう…と考えて
「僕の話を聞く時の顔の向き」に、気づきました。
外来中、下を向いて話を聞く患者さんほど、
どうも経過が思わしくない方向に行くのです。
前を向いて話を聞いてくれた患者さんは、再発が少ない!
だから、どうしたら顔を上げてもらえるか……
考えて考えて、このスタイルになりました。

◇ 紀々
先日の「With You 沖縄 ~あなたとブレストケアを考える会~ 」
のサポートをさせて頂いた時にもそうでしたが、
患者さんだけでなく、乳腺外科の先生同士のつながりも
とても強いという印象を受けました。


※ With You 沖縄 にて、蔵下 要 先生(浦添総合病院 乳腺センター長)と。

宮良先生
「With You 沖縄」の時に
県外から手弁当で来てくれる先生方のほとんどは、
癌研にいた時からの気心の知れた仲間です。
一緒に色々やってきましたから。
また、私は「YES」マンなので、
色々なことを引き受けて、県外でも活動しています。

◇ 紀々
何でも言うことをきく、という「YES」マン……?!

宮良先生
「やってみよう!」ということに対して、
Noと言わない男なの。
だから「YES」マン。(笑)
大変な時もあるけれど、色々やるのは楽しいし。
それもこれも、癌研の
あの時代があったからこその「今」。
そして何より、最初の羽田空港でのキセキ!
そう思っています。

◇ 紀々
なるほど!(笑)
だから、このインタビューも
Noとおっしゃらずに受けて下さったのですね!
今日は、あらためて大きなエールを頂きました。
本当にありがとうございます。


info
「宮良クリニック」 公式サイト


・ ・ ・

紀々の哲楽メモ

このインタビューの帰り道、
なぜか、涙がふわりとあふれてきました。

38歳……ちょうど新しい試行錯誤の中で、
色々な想いを抱えていた私にとって、
先生のお話は、大きなエールでした。
新しいハードルに向き合っている同世代のみんなにも、
是非、このエールが届きますように…と
願いを込めて、綴りました。

10年後くらいに、
私も、30's世代の後輩に相談された時
「実は、私もね……」と笑って話せるように
なっていたいと思います。
そして、宮良先生や私がエールを頂いた
先輩方からのバトンを、しっかり手渡したいと。

いつか、「ケ・セラ・セラ」のように
誰かの励みになるような曲を
つくれる人になりたいなぁという夢も生まれました♪

宮良先生のお話で、もうひとつ感激したのは
「好き!」のもつパワー。
これは、遊びだよ!と言えるくらいの「大好き!」感。
本当にステキだなぁと思いました。

そんな社会人の背中が世の中に増えたら、
若い人の職業観も何か変わるのでは……と思いました。
今、必要なのは、机の上で考えるキャリア教育よりも、
子供や学生さんがビックリするくらいにイキイキ輝く
プロフェッショナルとの出会いなのでは、と。

私自身も“イキイキ背中”を持ったプロになりたい、
そして、このインタビューが、その出会いのひとつと
なれますように……という想いがふくらんでいます。

がんと向き合う患者さんと共に歩む日々を送っている
宮良先生のお話をうかがうたびに、
私たちがつい日常で忘れがちな
「生きていること」への意識が高まる気がします。

そして、With You 沖縄 で出会った
明るさいっぱいの患者会の方々の笑顔も浮かびます。
宮良先生とは別の病院の患者さんでしたが、
「紀々さん、ここ座って!」と輪に入れて下さり
主治医の先生がどんなにいい先生か……
自慢大会にも加えてもらいました。(笑)
医師との信頼関係の大切さを、あらためて感じたひと時でした。

今はね、こんなに笑ってるけど
私も、最初は誰にも言えなかったのよと
皆さんの貴重な体験を聞かせて頂く中で
「どっこい、私は生きている!」という
明るくも強いメッセージが聞こえた気がしました。

「そして、あなたもね!」と。

患者さんの笑顔と、宮良先生の笑顔には
共通するタフな明るさがありました。

「生きていることが特別であることを、知っている人」
の明るさ……そんな気がします。

さて、私は何ができるのか?

38歳……新しいワクワクと宿題を頂きました。

宮良先生とお会いしてから、私もオタクだ!と直感しました。
そして気づいたのが、「笑顔オタク」。
笑顔を見るのが好きで、そのために出来ることを
いつも考えてしまう習慣は、しばしば周囲にあきれられるほど。
笑顔オタク道を、これからも笑って邁進します!

宮良先生、貴重なお時間を本当にありがとうございました。



・追伸・
医療系フリーマガジン「月刊ドクターズプラザ」12月号の健康インタビューでも、
思いがけず、宮良先生へのインタビューを担当させて頂きました!





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